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円からの補償費を東京湾の環寛保全対策費として位置づけ、漁業就労という形で県民に返済していこうというコンセプトであった。健全な東京湾の海域を整備し、そこで育った健康な魚を食材として提供するということは、生半可な決意では到底達成できないものである。それは千葉県民というだけではなく、東京湾に居住する一都二県の数千万人の協力と努力が必要である。この提案は、おおむね県民や各界の有識者には理解されたが、おひざ下の組合員や県の役人にとっては一度決済したものを返済することは、前例として受け入れられない事柄であったことだろう。私はこの提案は今でも社会的必然性があると信じている。東京湾は今でも青潮や赤潮が頻繁に発生するし、その結果として多くのアサリや魚が壊滅的な被害を被っている。見た目には昔よりも確かにきれいになったような気がするが、その実は顕濁物質が少なくなったに過ぎなく、水質は皆が期待するほどよくなってはいない。また、私は県が提案した船橋地先の埋め立て計画にも疑義をはさんだ。私白身、社会的必然性と人々の幸福が少しでも遂行されるのであれば、埋立造成計画自体を反対するものではない。これまでの様々な海の利用計画に際して試みられた環境アセスメントという制度の欠点や問題点についても指摘してきたが、行政や制度のフィードバック機能が有効に働かないということである。一度決定したプロジェクトは、決して後戻りするものではなく、たとえそれが多くの問題を抱えてたとしても原点に立ち返る姿勢さえも見いだせないのが現状である。海の生物にとって棲みやすい環境は、それは人にとっても良好な環境であると信じて止まない。これを基本理念として、10年前に私の友人の協力を得て、新しい概念の「三日月型人工島構想」を提案した。その構想計画は、ある意味での沖合人工島と同様な計画手法ではあるが、これまでと異なる点は陸域の環境負荷を海へ直接流すのではなく、計画的内水面を設けて、自然の営力を活用して浄化した海水を徐々に還流させるというものであった。また、今でこそ話題になっているミチゲーションという概念を既に十年前に提案していたのである。それは島全体がバイオフィルター(あるいはバイオリアクター)として機能させ、人工的干潟や浅海域を創出してビオトープを形成し、新たなフードチェーンを創造するものであった。また、土地利用に関しても工業用地を造成するのではなく、居住空間と緑地が一体となった美しいヨットハーバーや漁、港を内包する計画を提案した。
さらに、最近の新しい知見として、前述した埋立造成のために格子状に浚渫した砂の穴ぼこが意外な効用を有していることに気が付いたことである。これまで、これが青潮の一つの要因であるとともに、地震時の埋め立て護岸の崩壊につながる危険性を危ぐしていた。ところがこの人工的につくられた浚渫クリフ(崖)が、貧酸素水や富栄養塩などを封印する貯留池としての役割があることに気が付いた。なぜかというと、格子状の浚渫クリフの棚に当たる部分やその法面に多くの魚類が棲みついて、あたかもお魚団地の様相を呈していたのである。特にカレイの魚礁としては有望な棚となっている。その意味で、私は30年の歳月がカレイなどの魚介類に、この海の環境に順応させた、あるいは順応した結果であると思いはじめた。同時に、これまでの魚礁が様々な材質を用いて海底から上に向かって積み上げるという工法のほか、海底を浚渫する工法もまたあり得るという結論を得た。

5. おわりに

海の環境というものは、物理的や数学的に解析できるものではなく、経験工学に基づく実証工学であるということを学んできた。著名な学者や行政官が語った言葉に多くの間違いがあったことを、私は実際の海から学んできたし、それらの人々が肩書や立場を離れたとき初めて真実を告げたことも覚えている。海という環境には学問的仮説は通用しない、毎日の漁を通して魚や湖が語りかけてくれる自然の息吹こそが真実であることを学んだ。また、人間の価値観こそ実に頼り無いもので、これまで正義と信じていたものが、ある朝起きて気がついたらいつの間にか不正義となっていたということもあった。漁民の視点がいつも正しいとは限らないが、365日海や魚と付き合っていると海の監視人という自負がフツフツと沸いてきて、これからも頑張らなければならないと思う。

 

 

 

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